責任論の本質

 構成要件に該当して違法な行為でも,行為者に責任がなければ不可罰(無罪)です。典型例は,統合失調症末期の妄想に基づく電波による殺人指令に基づいて人を殺したような「心神喪失」です。「心身喪失」じゃないですよ。「身も心も無かったら犯罪自体ができない(笑,と誤字をしないように覚えろ。」と主任教授の言です。
 そのほか,「違法拘束命令」といって,背後から銃を突きつけられて強盗を一緒にやったとかは「期待可能性がない」として責任が阻却されます。来日したのを寝ぼけてまだオランダにいると誤信して,違法でないと思い寝起きの一発で大麻を吸引したというオランダ人は「違法性の意識がなかった」とかでも責任が阻却されて無罪となります(あくまで理論上です。)。
 これらに共通するのは,行為者を法的に批難できないからで,「非難可能性」こそ責任の本質とされています。しかし,私は,心神喪失違法性の意識の可能性欠如も通常の期待可能性欠如も,全て行為者に「適法行為の期待可能性がない」からではないかと愚行してます。つまり,責任阻却(/有責性)=非難可能性の欠如(/非難可能性あり)=適法行為の期待可能性の欠如(/適法行為の期待可能性の存在),なのではないかと……。