医療と延命拒否

 私が医学部受験途中から逃散した理由の一つは,このような難題に医師として直面したとき,覚悟をもって若しくはワンノブベストの正解を見出す自信が持てなくなったからです。医療倫理という重い命題から逃散したヘタレです。単純に患者さんを救うという崇高な使命(私の場合は1日でも長く父を生きながらせたいとう個人的理由も強かったでしたが)に殉じるだけの単細胞では,とても医師という過酷な判断を求められて対応するプロフェッショナルになれないと悟ったからでした。

ある少女の延命拒否岡田克敏 提供:岡田克敏/アゴラ 2010年12月15日15時17分
http://news.livedoor.com/article/detail/5210080/
>死期の迫った人に対して「もうすぐ死んで楽になれますよ」と正直に言えるものではありません。建前を優先し「きっとよくなりますから頑張ってください」と心にもないことを言ってしまいます。また患者がその人にとってかけがえのない人の場合は「頑張ってください」というのは本心でしょうが、それが患者にとって幸せなこととは限りません。
>心臓に重い疾患をもつ少女は8歳で心臓移植を受けますが、背骨が曲がり呼吸困難になって15歳のとき人工呼吸器をつけて声を失います。訪問医療によって、少女が望んだ両親との自宅生活が実現しますが、腎不全の発症によってその望みは絶たれます。人工透析は自宅では難しいからです。少女はここで人工透析をしないという決断をし、やがて18年の短い生涯を終えます。
>18歳という判断力のある年齢であることから、主治医は本人と両親だけで決定するのがよいと考えたこと、両親も本人の意思を尊重するという態度を変えなかったこともありますが、なによりも少女の覚悟と意志の強さが大きな理由でしょう。透析をすれば楽になることを知りながら、断るのはとても難しいことです。18歳とは思えない見事なもので、私ならできるかどうか・・・。「もう死ぬ」と周囲の反対を押し切って、自らチューブを引き抜いた作家の吉村昭氏が思い出されます。

私見クローズアップ現代」 「もう延命はいいから…」家族との時間を選択した18歳少女 2010/12/10 20:41
http://www.j-cast.com/tv/2010/12/10083225.html
>「クローズアップ現代」が「ありのままの姿を記録していいよ」という少女の承諾を得て、今年5月から黄泉の国へ旅立つまでの少女を映像に記録した。その記録をもとに、「延命」が患者の「生」を豊かにしているのかどうか、命を引き延ばすことをどう考えればいいかを取り上げた。
>……の喜ぶ姿を見た父の……は悩んだ。
>「助かる命ならどんなことをしても助けたい」
>相談を受けた……医師は「私も迷うことなく、生きてほしいと思う。しかし、これは私の価値観が入っちゃいけないので、家族3人で決めていただきたい」と答えざるを得なかった。
>そして父親は、……医師立ち合いのもと、涙を流しながら……に最後の説得を試みた。
>……の答えは「私は納得しているんだよ。パパやママはつらいかもしれないけど私の気持ちは変わらない。もう決めたことだから言わないで」だった。
>生きてほしいと願う両親に、「延命はいらない」と伝える……の気持ちもどれほど辛かったことか。

 正解がないのは判っています。亡父の最期を看取ったとき,無理で人為的機械的な延命処置を「遠慮」した亡父の意志を尊重しましたが,娘の本音は,人工心肺で半ば植物状態でも,この世に1日でも長くいて手をずっと握ってあげたかったという家族の切なる心情も痛いほどわかります。