至急!ババ様は今日明日!

 時間軸をずらして日記を説き起こして書いてます。*1
 亡父のお兄様(私の叔父)からメイルが来て,大枚はたいて新幹線に飛び乗って駆け付けました。間に合うかな……という不安の中。従妹から涙ながらの「血圧が測れない」との至急メイルも来たし……。御年95才で学童疎開に引率した飛び級で高等師範出のオバアチャン。車椅子に鎮座したオバアチャンから思い出話を聴いたとき,一番辛かったのは学級担任の教え子が学童疎開先で栄養失調で他界してみとったときのこと,だそうです(黙祷)。戦前戦中終戦直後の生き証人のオバアチャン。
 さすが,戦前戦中戦後の混乱期を生き延びたオバアチャンは頑丈だ。医師も舌を巻くほど医学の常識をことごとく覆して死線から4度も生還(内臓手術3回だそうです)した体(チタンプレート入り)。覚悟の上で駆け付けると,排膿だけで持ち直していました\(^o^)/。ガンガレ!大正生まれの意地で生命の神秘力をヒヨッコ研修医(失礼ゴメソ)に見せたれ!それが研修医の先生がこの先多くの人命を救う肥やしになるかもしれないんだし!
 だけど,オバアチャンは「自宅で畳の上で死にたい」との願望は昔からだったので,血圧測定が不可能となったときは「カ(エ)ヒテ,家に帰ひて,カヒテ。」という,うわ言で抜擢?(点滴等の挿管を痛みや帰宅願望で無意識に自ら取ろうとすること)を止めるのに看護師さんたちが一苦労だったそうです。血圧が測定不能なのに口と左手だけは奇跡的に達者だったそうです(生命の神秘)。終末医療に理解のある叔父(亡父の他界を私と一緒に見送ってくれた)は,真剣に民間救急車で自宅に戻すことも「母のこの世の最期の望みをかなえてあげたい」と考えたそうで,主治医も「今日明日……は99%です,本人が楽になるならご家族が納得されるなら,酸素吸入も点滴も外してあげて結構です。XXさんのご家族なら,後で何か言う(クレイムつける地雷)方もいないでしょう。ただ,最期を看取る開業医の先生だけは手配してください。」とのご宣託だったとか(亡父の終末医療もご存じの先生)。
 本人の最期の希望と終末医療に再び直面しました。尊厳死と言うと重いけど「本人が終末を自ら選ぶのが一番幸せなんじゃないかな。それが延命治療辞退でも。寿命を縮めても思い出の自宅で愛する肉親に囲まれて逝きたいでも。95才なら天命召喚だし。」と思いマスタ。一介の法学部生の悪い癖で「自己決定権」というテクニカルタームが頭をよぎりマスタ。一人一人意見や感想は違って当然だけど,最期の旅立ちは本人の(生前の)意志が自ら選んでいいんじゃないかなぁ。終末医療を家族として考えた一コマ。*2

*1:パパリンの遺言で医療関係者が見たら私が誰かバレるかもしれないから

*2:法律上は家族じゃないくて親族に過ぎないけど,私のようなハチャメチャ孫を我が子のようにかわいがってくれたオバアチャンだから。亡父の忘れ形見という思いが晩年強くなったようだけど