ペルソナとロールプレイイング

 学術的な意味は違うらしいが,人は,大なり小なり,職業や立場というペルソナを被り,職業や立場に周囲から期待される役割をふるまってロールプレイングしまうそうだ。邦画「釣りバカ日誌*1で,ハマちゃんとスーさんのプライベートとパブリックの二重関係を見れば判りやすい。
 物の本によれば,もともと現代のヒトは,生存本能から環境適応のために多面性と多様性を生来から内包しており,遅くとも中世以降は人格の統一統合自体が一つの生涯の課題らしく,本能から来る誘惑に弱い面を内包し,現代ストレス社会では,迫りくるストレスをどこかで発散解消しないと胃に穴が開くらしい。*2
 そのためかどうか正確には判らないが,職業上で最もコンプライアンスが期待される法曹三者が,車内痴漢や児童買春などの性犯罪で逮捕された著名事件を見れば,そんな感覚を持ってしまう。逆説的に言えば,期待されるロールプレイングの規制が重圧となり,職業や仮面というペルソナをぶち壊してしまった可能性も高いだろう。

*1:作:やまさき十三,画:北見けんいち,原作:釣り漫画,監督:栗山富夫,製作:山内静夫,脚本:山田洋次,配給:松竹,公開:1988年12月24日〜

*2:医学的な意味ではなく比喩です(^^ゞポリポリ