国際標準

 失礼かも知れないが,戦前のファナティックな戦争に突入する前でも,民法の先生方は意外と「妻の無能力」を批判的に記述することに終始して,その適用を制限する解釈を展開していることだ。それがため,穗積先生は,制度の沿革にからめてフランス法・ドイツ法・イギリス法・スイス法の改正に触れて当時の民法規定を批判する根拠にされている(我妻先生も同様)。法学者は,比較法という目を通して,人権と民主主義の暗黒時代の戦前から,国際標準(ナショナル・デ・ファクト・スタンダード)を意識していたからだろう。*1
 亡父が「国際標準」を口して諸般の問題を論じていた沿革かも知れない。私が医学同等に法学に引かれる由縁でもある。何といっても,民主主義の多数決というか,レッセ・フェールの選択結果というか,確率における大数の法則というか*2,事実上多数選択・採用の例や制度は,だいたい正しいか選択可能な最良であることが多いからだ。*3

*1:日本史で有名な「国家法人説に基づく美濃部達吉教授の天皇機関説事件」を見れば法学全体でそういう傾向があったと思う。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%AA%AC

*2:もちろん本当の意味とは異なるけど。http://www.kwansei.ac.jp/hs/z90010/sugakuc/toukei/taisuu/taisuu.htm http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%95%B0%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87

*3:プロ野球の監督が「統計と確率」を重視したのと似ているかも知れない