犯罪の本質

 やっ〜〜と,刑法総論基本書の精読が罪数まで来て,ゴール間近になりました。改めて団藤先生が「人格責任論」をとる理由や責任の本質が「非難可能性」である理由が分かってきたような気がします。そして違法は責任類型(有責類型)である理由や構成要件が違法有責類型である理由が大雑把ながら理解できたような気がします。
 法律や刑法以前のマンモス狩りをしていた原始社会でも,人殺しや泥棒は,原始共同社会が形成されていなくても,非難されたでしょう。ただ,「最古の商売は売春と売文」(五木寛之氏から亡父がパクった言葉)というので,売春や売文は非難可能性は低いかなかったでしょう。ラスコーの壁画を見る限り。
 小さいとき「人様に後ろ指さされるようなことはしなさんな」と孫に説教してたジッチャンの姿が思い起こされます。それは実質で形式ではないと思います。屁理屈や揚げ足取りで人をやり込めても,非難可能性は増減されるものではなく,社会的倫理といわれるコモンセンスやリーガルマインドと呼ばえれる健全な社会常識が支配する世界だと思います。とすれば,初諸学者向けの法学入門によく出てくるとおり,「法は最低限の常識」という言葉輝いて見えます。刑事法の規制は民事法の規制よりもはるかに厳格で規制が限定されているからです。