無知(鞭)との遭遇

格差が変革へのバネだ 2010年11月17日0時4分
http://www.asahi.com/business/topics/column/TKY201011160508.html
>相変わらず「格差論」が大はやりだが、日本は良い国である。若者の半分が大学に行ける国が世界に幾つあるだろう。大学で若者がどのように時間を過ごすかは自由である。その過ごした時間の結果を自ら引き受ければそれでよいのだ。格差を論じる人たちは、「かわいそうな若者」を例示し、問題の所在を、社会や会社の側に求めるが、「恵まれない若者」がいることがそんなに悪いことだろうか。
>いつの時代でも格差はある。残念なことだが、それが変革へのバネの一つになってきたのも事実だ。失われたのは若者のハングリー精神である。若者自身に怒りが乏しいことこそが危機である。(遠雷)

 と言われても,私たちの世代は物心ついたときから不況しかしらないし,バブルなんてのも高度経済成長なんてのも知らない。「明日は今日より美しい」「巨人の星」「あしたのジョー」「昭和元禄」というメンタリティーも実感がわかないどころか,本棚の知識でしかない。「フリーターや日雇派遣でとりあえず生活できるんで就活もかったるいしハングリーなんてウザい。」となっても今の社会文化構造では,それも止む得ないではないか。
 むしろ「大学は出たけれど」という数年後の危機感が異常につのり,1年生から自己啓発を超えて,行書や社労士の資格取得予備校にダブルスクールというのがはやっている。公認会計士も司法試験もパイロットもスチュワーデスも撃沈されたし,銀行や証券という安定雇用のはずだった金融業界ですら離合集散の時代だ。「(ビ)(金)」「勝ち組・負け組」「貧乏脱出大作戦」というキャッチフレーズで若者を煽った世代が,今,そのテーゼで苦しめられている。
 介護業界で「寿退職」といえば,「今の給料では結婚できないから退職する」という意味だ。日本は「不確実性の時代」に確実に突入している。こんな日本に誰がした! 高齢化社会の昭和100年の危機(社会保障の破綻)は,20年以上前から社会政策学者が警告を発していたのだ。それでも赤字国債を乱発し続けて,後年度世代σ(^_^)に付け回しを平然としていたのだ。
 今の若年世代は,二十歳で参政権(国政参加の権利)をやっと得たときに既に莫大な借金を背負わせられているのだ。長期赤字国債を乱発した責任世代(政策決定関与高齢者)は,赤字国債の恩恵を受けて(生涯1人約1千万円の利得)喰い逃げしたようなもの。もちろん戦争世代・戦後復興世代だから,言語に絶する苦渋の思春期の代償・人生の果実として釣り勘定は自己完結しいている,のは理解できるが。
 だけど,マクロではこの国を救いたいし,ミクロでは自分の人生設計ライフワークを見据えたい。そのために学生時代からスキルアップで鞭打つ大学生生活を送っているのだ。自分と日本の将来に不安を感じつつ明るい未来の希望を抱いて。