予備審問と大陪審の沿革

 国家権力や検察官への牽制と思いがちですが,実は,予備審問は,検察官制度が無く(!),私人である被害者が自由に刑事処罰を求める起訴が許されていた英国で発達した制度で,私人の濫訴(濫起訴)を牽制抑制して法の支配と適正手続きを確保する制度として始まった沿革を有します。*1
 大陪審も沿革は,予想外なことに大陸から原型が渡英して,英国王ヘンリー2世が英国国教カンタベリー司教の専横を牽制して国王の権力を回復するために始めたもので,国王が国家権力で教会権力を牽制する制度として発展したもので,けっして国家権力の暴走を抑止する民主的な制度として米国で始まったものではありません。
 英米法のテキストをよく読まないで学年末試験に臨むと,昨今の新聞論調や検察審査会制度の改正意見から,「類推」(実は誤読曲解作文)して,「どちらも検察の訴追権限の民主的統制から始まったもので,予備諮問は英国で創設されて米国に渡ったが,米国では,小陪審(事実審理陪審)と予備審問が結合して独自の大陪審憲法条項になった。」……なんてウソにウソを重ねたトンデモ答案を書いてD(不可)をもらうそうです(汗
 もっとも,英国法制史を調べれば調べるほど血生臭いので,学習する方は「血を見るのが嫌い」な方は遠慮された方がいいかもしれません。とりあえず映画で「わが命つきるとも(A Man for All Seasons )」*2ジャンヌ・ダルク(The Messenger: The Story of Joan of Arc)」*3マイケル・コリンズ(Micael Collins )」*4の順番で見ると,違った英国法制史が見えてきます。
 お口直しはもちろん近未来の法制を描いた↓これらw

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%89_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E7%95%AA%E7%B5%84)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%89_%E5%8A%87%E5%A0%B4%E7%89%88
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%896%E5%8F%B7

と↓コレらw

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%97%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC90
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AC%8E%E3%81%AE%E5%86%86%E7%9B%A4UFO http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B91999