法学的には当然です

政府、和解拒否を表明 イレッサ訴訟「違法性ない」 2月大阪地裁、3月東京地裁で判決 2011/1/28 21:14
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819695E0EAE2E7EB8DE0EAE2E3E0E2E3E39191E3E2E2E2
>これに対し、細川厚労相は「間質性肺炎イレッサの添付文書の『重大な副作用』に記載しており、国に責任があったといえない」と反論した。医師から副作用について説明を受けずに投与されて間質性肺炎となった患者については「現場の当事者間の問題」として、医師に責任があることを示唆した。
>さらに「和解勧告の趣旨を推し進めれば、承認前に治験外で投与した患者に対する副作用を厳格に審査すべきだということになる」と指摘。「治験外使用がより限定的となり、その結果、治療が難しいがん患者らにとって、最後のよりどころが限られる」と述べ、今後、がん患者に与える影響が大きいと判断したという。
>両地裁は7日に和解を勧告し、28日までに回答するよう求めていたが、細川厚労相は「検討期間が極めて短く、医療現場や原告、被告の製薬企業との間で合意に至ることは困難」と説明。そのうえで「手つかずの論点を多く残したまま、和解協議に入るよりも、判決で問題点を指摘してもらい、丁寧に制度のあり方を模索したい」と述べた。

 「過失責任の認定」と「被害者救済補償」とは別に議論した方がいいと思います。民事では,薬害の過失責任で安易な和解=濫訴で和解狙い続発,という大問題の波及効果を産むリスクがあるからです。著しい被害から救済すべき被害者は,無過失補償制度で対応すべきです。
 法理論的にも予見可能性・予見義務・回避可能性・回避義務という過失4要件を緩めるのは納得がいきません。医薬品添付文書の副作用情報の順番まで過失だとしたら,たいていの取扱説明書は,家電製品にしろ,携帯電話にしろ(分厚くて読みにく方が過失かな?)なんて全部何らかの過失が成立して,「過失責任主義」の大原則に反します。
 これを民事責任で緩めて企業の過失責任を陪審裁判で緩く認めた米国が訴訟社会化してどうなったか……。自動車のサイドミラーに「警告:実際の距離や姿よりは小さく見えます」と浮動文字で印刷し,電子レンジの取説に大きな赤文字イラストで「警告!警告!電子レンジに小動物や可燃性洗濯物を入れると火災で焼死する危険があります」と大々的にプリントする社会に住むようになります。
 日本の100円ライターの注意書きなんて,米国基準で言ったら,「子供が読めない漢字を使った過失」「老眼で読めない小さな文字で印刷した過失」で集団訴訟が起きても不思議ではありません。
 このような被害は,無過失責任補償制度(製造物責任)で「付保険特別立法」という弱者救済制度で対応すべきです。そうでないと「新薬は薬害訴訟の地雷かもしれないので怖くて投与できない社会」が到来してしまいます。これって,日本の医療全体というマクロで考えたら,トータルで医療リソースの無駄遣いではないでしょうか?