リソース限界

本当に溺死なのか――。死因に納得できず苦しむ遺族 戦場の被災地で法医学者が痛感した“検死”の限界 ――岩瀬博太郎・千葉大学大学院法医学教室教授のケース
http://diamond.jp/articles/-/17024?page=4
>「日本の検視・検案のシステムは、先進国のそれに比べると不備が多い。たとえばアメリカでは、災害時に移動式の解剖室で解剖することが可能な体制になっている。国として、そのような予算を設けている。
>しかし、今の日本では、自然災害や事故などで100人を超える死者が出ると、それぞれのご遺体の死因を判定することはもうできない。JR福知山線列車事故(2005年・兵庫県尼崎市)の際に行なわれた検案も、その意味では不十分だったのだと思う。
>現状はおそらく、災害時などに5人のご遺体を解剖し、死因を究明することが限界ではないか。死因究明制度の充実は、改めて考えないといけない。今後、我々が政府に提言をするなどして、働きかけをしていきたい」
>……
>「表現が難しいが、ある意味で諦めていた部分がある。死者が2万人近いという状態は、日本の能力を超えている。その意味では、警察も同じような考えだったのかもしれない。
>警察と医師との関係で言えば、双方の役割分担には不明確なものがあった。警察はここまでする、そして医師はここまでをする、ときちんと定まっていれば、双方がもっと手際よく進めることができたと思う。医師によっては、死因の判定に時間をかけ過ぎたケースもあったと聞く。これでは、警察に不快な思いをさせてしまう。医師に事前の準備が足りなかったのかもしれない」

 未曽有の大災害では,ノーマルな標準手順段取の確保も難しかったと思います。大量のご遺体を冷安する設備も氷もなく,高度腐敗する前に検視しないといけないという切迫感もあったやに聞いています。そんな中で寝食を忘れて懸命に対処したボランティアの医療スタッフの方々の言語に絶するご活動には頭が下がります。m(_ _)m