葬儀

 盛大だった。こんなに父が内外の人に慕われていたとは思わなかった。私と弟にとって、1時間に1ギャグを言う冗談オヤジのイメージだったが。父の遺体と自宅に戻ると、母は次々と入る国際電話でテンテコマイだった。英語なら滞米生活で苦にならないが、スペイン語とフランス語はさすがにお手上げだったからだ。毎日顔を出してくれたpepuドクター夫婦が通訳してくれた。コンプリートリィ。
 父と私に洗礼を授けれてくれた米国人牧師先生が、偶然にも布教活動で来日中であり、神の意志*1を感じながら葬儀の席に臨んだ。エクセレント。大聖堂は立錐の余地もなく、駐車場の大天幕から歩道まで列席者があふれた。3割くらいが外国人で同時通訳付きの葬儀となった。讃美歌は数ヶ国語が入り乱れた。ボーダーレス、ダディ。

*1:追記:宗教が異なる方は「運命」と置き換えて御理解ください