危険こそ学習

 何らかの事故が発生すると,「禁止だ」「なぜ許可した」というメンタリティが日本(の特に学校)に多い。私が最も嫌うビヘイビアだ。米国人メンタリティなら,遭難者に「ドンマイ,トライ・アゲイン!」*1が普通というか常識である。「失敗を学習した敗者復活のリカバリを勇気ある行動として賞賛する」という文化であろう。*2
 そこには,「危険の学習のススメ」を通じて,トータル・グロスで事故も事故の悲劇も将来に向かって減少させる,という暗黙の了解がある文化のようだ。同時に「俺ならもっとうまくやる」とマージャンの後付けのような批判も許容して,事故原因の解明や対策をハッタリやフカシ*3でも百家争鳴させた上で自然淘汰させて真理に到達しよう,というおおらかさも感じるのは,私だけだろうか?

*1:意訳すれば「起こったことは(神の意思だから)気にするな,今度はうまく(セイフティーで)やれよ」

*2:プライマリースクールでは「自転車で転んだら乗るのが怖くなるね。怖いままでは一生チキンかルーザーよ。今度はうまく乗ろうね。」と教えていた

*3:自転車で転ばないように気球で吊るとか,自転車を全部四輪車に改造するとかの類