「事実認定は価値判断に先行」

 これは亡父の遺訓である。「学生はんは,逆立ちした議論が好きやさかい。お前も気をつけなあかんでー。」つまり結論(価値判断)を先に選択して,それに合うソースやファクトを集めるのを戒める言葉だ。「これをクリーム・スキミングと言わはるのは,お前もお米の国(米国のオジンギャグ)で聞きはったやろ」とも言っていた。実は米国は,トンデモ議論やエセ科学疑似科学もどき)の「超先進国」である。先に結論ありきの悪しき国。これだけは米国文化が嫌いになる汚点で,その遠因はディベート教育にあると思う。プロかコンか,という二者択一に議論を分けて闘わせ聴衆の賛意が多い方を高得点とする「プレゼン能力」も評価の対象になるからだ。
 さすがに,米国でも,早いところではハイスクールから遅くてもカレッジ一般教養から,「論理学」を学び,「詭弁メソッド」で,トンデモ議論やエセ科学を見抜くコモンセンスを見抜く能力を養う。私は米国で学ぶチャンスがなかったが,亡父の厳命で中学生のころから,この手の本を日本語で読まされた*1。おまけに高校時代から,伝聞法則(ヒヤ・セイ・ルール)の口頭教育をウイグモア先生の名の下にいつのまにか受けた*2。そのため,他人の「論理の穴」や「ソースの不信性」に高校時代には開眼してしまい,「理屈っぽい嫌なオンナノコ」になってしまった。ブーブー
 だけど,「知らないことは知らない」「判らないことは判らない」*3と言う勇気を得た。これで相手に馬鹿にされ嘲笑されても(不知無知を自白すると実際に馬鹿にしたり嘲笑されたりもしたw),これが恥だとは思わず,自分の学習の至らなさを反省して図書館に走った。「議論や(専門)知識に真摯な畏敬を持つ勇気が勝る」という信念は変わらず今日まで来た。これは,マスコミの明後日向いた医療批判,司法批判,航空批判を見聞きして強化された。速報性の限界があるのは容易に推察されるが読者に売れない記事は商品価値が無く,売れるプレゼンで味付けしているんだろう。これは,米国ディベート点数のプレゼン評価という問題点と同根ではないか? そこには事実認定は価値判断に先行する,というウラトリ調査(伝聞法則w自白法則w)が不十分,という鎧も衣の下からチラチラしている。そう思うのは私だけだろうか。もちろんマスコミが圧政を倒し,社会病理を抉り出す貢献は賞賛するが,同時に現代マスコミの病理にも,是非自戒していただきたい。第四の府・第四の権力(立法司法行政の三権に対する言葉)という公益に奉仕する民主主義に不可欠で大事な存在であるのだから。*4

*1:ただし,亡父の文庫にある古本ばっかしw

*2:これって,刑事訴訟法の重要な証拠法の基本概念じゃんかw

*3:これも亡父の遺訓の言葉だが,証人尋問の法廷傍聴をしたとき,裁判長が証人に全く同じフレーズの注意をするのを耳にしてびっくりした。よく考えればパパリンはここからパクったのだろうw。だけど正確な事実認定を司法がするためには大事なルールと裁判官が考えていることに間違いない

*4:それゆえ,独裁政権はマスコミを統制禁圧する。戦前の日本の軍部やナチス政権,戦後でも,旧ソ連時代の各政権,韓国のパクチョンヒ政権,フィリピンのマルコス政権など