遅過ぎた自己検証

TVでは「かわいそうな患者とヒドイ病院」とやれば外れはない NEWSポストセブン11月5日(金)10時5分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20101105-00000002-pseven-pol
>それから9年後、いったん逮捕された担当医師の無罪が確定した。私のコメントは的外れだったことになる。かつての自分自身のコメントをどう総括するべきなのだろうか?
>患者が病院をたらい回しにされて死亡した事件などで使われるたらい回しという表現自体、病院側の“受け入れ拒否”であって、ヒドイ病院というニュアンスが込められている。病院側からすれば、“受け入れ不能”なのだ。
>割り箸死亡事故は裁判の結果、「特異な事例で医師が想定するのは極めて困難」「治療しても延命の可能性が低かった」として、医師は無罪となった。
>医師が4歳児への問診の中でどこまで類推しうるものなのか? そういう想像力を私も働かせず、素人判断でコメントしていたのである。その危うさに気づいていなかった私自身、「知的な劣化」といわれても仕方がない。
>※週刊ポスト2010年11月12日号

 過ちて改める(正す)に遅過ぎることなし,と言われますが……。後医は名医とも言いますが……。かなり遅くなっても自己検証して正そうとする良心的なマスコミ人がたった一人でもいることが救いです(皮肉。
 何度も繰り返して恐縮ですが「事実認定は価値判断に先行する」です。正しい事実認定(死因・救命率・受入可能性)なくしては妥当な価値判断(医師病院の有責or無責)はできません。安易な権威叩きに慣れると,権威を糾弾すること(価値判断)を急ぐあまり,その大前提のはずの事実認定で,マスコミ人にとっては本来恥辱的屈辱的なはずの誤報誤認がまかりとおるのです。