死刑と教育

最高裁元少年3人の上告棄却、死刑確定へ
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110310-OYT1T00692.htm
桜井龍子裁判長は「執拗(しつよう)かつ残虐な犯行で、わずか11日間で4人の命を奪った結果は誠に重大。3人が少年だったことなどを最大限に考慮しても、死刑はやむを得ない」と述べ、3人の上告を棄却した。3人の死刑が確定する。
>犯行時少年の死刑が確定するのは、千葉県市川市で92年に起きた一家4人殺害事件の男性死刑囚(犯行時19歳)以来、約9年ぶり。少年事件では、最高裁に記録が残る66年以降、9人の死刑が確定しているが、同一事件で複数の被告の死刑が確定するのは初めて。最高裁判決には、宣告から10日以内に訂正を申し立てることができるが、過去10年間で認められたケースはない。
>判決は「無抵抗の被害者に集団で暴行を加え、その痕跡を消そうと殺害に及んだ理不尽な動機に酌量の余地はない」と厳しく非難。「なぶり殺しともいうべき凄惨(せいさん)な犯行で、遺族の処罰感情は極めて厳しく、社会に与えた衝撃も計り知れない」とし、〈1〉3人が事件当時、少年だった〈2〉場当たり的犯行だった〈3〉遺族に謝罪の意を示している――ことなど、被告に有利な事情を踏まえても死刑は避けられないと結論付けた。

 11日間の間に殺人や強盗殺人で4人を殺害なんて,少年とはいえ,いや可塑性に富んで教育効果がある少年ならばこそ,親はどういうトンデモ教育をしたのでしょうか。形式的でなくて実質的な違法性の意識は,「自分がされて嫌なことはするな」で始まるはずです。遊興費や暇つぶし目的で人の命をあやめ続けている最中に,どっかで共犯少年4名の誰かが罪の意識でブレーキーをかけなかったんでしょうか。
 もちろん,ネグレクトや放任や物理的心理的両親不在で,温かい家庭や両親の愛を知らずに育ったのかもしれませんけど。それでも,たいていは,せいぜいカツアゲ(恐喝)や狩り叩きブクロ(強盗)で遊興費をせしめる程度で止まり,殺人まで進むのはほとんどなく,まして連続(強盗)殺人なん聞いたことがありません。
 死刑の是非は別として,温情判決が続く最高裁ですら,極端な少年の凶悪事件には死刑の威嚇力で対処して市民の生活を防護するしかない!という危機感がヒシヒシと伝わってくるような上告棄却判決でした。
 我田引水ですが,他人への思いやりの心を育てる効力感は,小さいころから町内公園清掃や老人ホーム慰問などのボランティア活動ではぐくむ教育を普及してはどうでしょうか。*1

*1:こういうことを言うと,政治家の何は中には短絡的に,小学校から道徳教育の義務化・中高生はボランティア活動の義務化(必修単位化)……を唱える人がいますが,教育やボランティア活動は善意で自発的でなければ効果も意味もないです。特に,「ボランティア活動の義務化(卒業必須単位化)」という前後矛盾するテクニカルタームの結合を変だと思わない上から目線がおかしいです