議論の作法

タカ派の麻酔科医 2011/09/12 10:27
http://d.hatena.ne.jp/hascup_jr/20110911#c1315790851
>話の内容を戦わせることが、なぜか人と人のメンツの戦いになり易いと、ネット上で感じます。
実名主義を離れ、コテハンも捨て、論の内容を戦わせる方が得るものは大きいと思います。
>ただ、簡潔に伝えることを前提にすることと、根拠を明確にすることは大切でしょう。
>過去ログ見れという話になる時、結局一回りしたという認識を持つ必要もあると思います。ループを形成する問題であったというだけの話ですよね。

 議論・論争とは,「偏見と偏見をぶつけあうことで真理に到達する」という訴訟哲学の方法論に依拠するのではないかと思います。ところが感情やエゴがメインになると「議論に勝つ・相手をやっつける」ということがいつの間にか目的となり,メンツの闘いとなるのは,タカ派の麻酔科医さまのご指摘のとおりだと思います。相手がぶつけてくる批判で,自己の非や誤りを悟ったら,「過ちを知りて改めるに遅すぎることはなし」といきたいものです。
 立場や地位というハロー効果やバイアスがかかると,無意味に反発されたり,無暗に尊敬されたり,とイイことはないようです。亡父が一番恐れていたことで,亡父が最も被害に遭ったからだそうです。「君は専門家の専門的判断を否定するのか?」とか「貴様!上司や次長の判断が間違いだというのか!」とか。
 実は,法学という当為法則の学問では,このようなゴリ押しを忌避するために意見の評価の判断枠組みがいつの間にかデファクトスタンダードで準則化されて

    1. 法文上の根拠
    2. 理論的根拠
    3. 結果の妥当性

という「理由付け」で真偽や妥当性が判断されます。
 もちろん,文系の当為法則の限界で,トートロジー(循環論法)がさりげなく織り込まれることがあるので,注意を要します。

A「駅はどこ」
B「XXのそば」
A「XXはどこ」
B「駅のそば」

という子供の会話で微笑ましいCMがあったそうですが,これに近い論法が著名な学者先生の基本書や人権規定にも使われることがあるので要注意です。

 我々は,自明の真理として,全ての人が平等に出生し,造物主によって,生存,自由および幸福追求を含む不可侵の権利が与えられていることを確信する。かかる権利を確実なものとするために,人民は政府という機関をもつ……(アメリカ独立宣言)*1

 意地悪い見方をすれば,ホントに全ての人間は自由かつ平等に不可侵権を与えられて出生するのでしょうか? その理論的根拠は? 法律ができる前なら法文上の根拠は? 生れながら極貧家庭なら結果の妥当性があるか? 法哲学の議論は尽きず夜が更けます。法哲学だからではないでしょうが徹夜ゼミで高齢の教授が真っ先に白河夜船でダウンされました(爆。