責任は主観的・属人的要素

 しかし,(3)「有責」つまり「責任が有る」という判断は,こうはいかない。脳梅毒による脳実質の病変で心神喪失かどうかは,外形的行為からは一見して判らず,昔ならドタマをカチ割って大脳の病変部を調べなければ判らないからである。*1
 つまり,全く同じ犯罪行為をAもBもCも行ったという外形的事実だけでも,ABC各人の行為者の主観的要素や属人的要素で,責任の有無や程度の判断が区々に分かれるものなのだ。
 もし,Aが,大マゼラン星雲から発せられた電波で「Vを殺せ」とデスラー総統からの指令を受けて,殺人を「させられ体験」して実行したなら,心身喪失で責任能力がないから有責ではないだろう。
 もし,Bが,リモコン爆弾を体内に手術で埋め込まれてV殺害を強制されていたら?*2 もし,Cが,実の両親から良心を欠く殺人マシンとして育てられ3代前の復讐でVを殺害したら?*3

*1:今なら,CTやMRIで容易に病変部が判明するらしいので,ドタマをカチ割る必要はないが,それでも犯行時の外形的行為ではわからない

*2:ジャッキーチェーンの香港ポリスストーリからインスパイアされた事例w

*3:江戸川乱歩の戦前の作品にインスパイアされた例w