責任の本質

 初学者がケースメソッドにハマると夜も寝れなくなるから*1 *2,こういうときは,「本質論(根本規範;根幹部分)に立ち返るとええねん。」だそうだ。
 そもそも,責任の本質は,「非難可能性」であり,その判断の基礎に何を求めるかで,道義的責任論(行為責任論・意思責任論)や社会的責任論(性格責任論)や人格責任論(行為責任+人格形成責任論)の争いがあるが,「犯罪行為を行ったことについて犯人(行為者)を非難することができるものでなければ,責任が阻却されて,犯罪は不成立である。」
 (1)故意も過失もなければ,人の行為は「無過失」として非難できないし(刑法38条1項),(2)故意や過失があっても,「行為事情の正常性」つまり「適法行為の期待可能性」もなければ非難できない。*3 故意と過失は,責任類型として構成要件に取り込まれているから,責任レベルプロパーとしは構成要件に引き算した残り,すなわち「適法行為の期待可能性」が「根本規範」ではないだろうか。

*1:アマチュア無線にはまった香港人なら,Bであっても,電磁波シールドボックス−−「ファラデーの箱」のビックリ箱版−−に逃げ込むことを思いつくから,適法行為の期待可能性がないとは言えないwとか

*2:ジェイソン・ボーンロバート・ラドラム著『最後の暗殺者』の主人公)なら,Cであっても,良心に目覚めて無意味な殺人は思いとどまるだろうwとか

*3:第五柏島丸事件・大判S8.11.21刑集12-2072,「法は不能を強いらない」最判S33.11.4(垂水裁判官補足意見)刑集12-15-349