3代前のギャグ

 カルチャーギャップから,爺っちゃんのギャグが滑った1960年代ころw

Q「日本ノ家ハ,紙ト竹デびるとスルノカ?」
A「そのとおり。タイフーンで吹き飛ぶから,日本人はタイフーンを恐れる。」
Q「(まじまじと同情の籠った眼で私を見た)」
A「(まいった,冗談が通じない。)」

Q「りきどーざんトイウからてれすらーハ,食事デモからてちょっぷヲ使ウノカ?」
A「空手チョップスティックというジャパニーズヌンチャクを使って食事します。」
Q「ぬんちゃくトハ何デスカ?」
A「(通じない…いつもの逃げ…)いっつ・おりえんたる・みらくる hi.」
Q「アー,ソー。」

Q「S●NYノ旧社名ハ,ナゼとーつーこート名付ケタノカ?」
A「それは日本語で“頭が痛い工業”の会社という意味の漢字略語である。」
Q「ハーン?」
A「エンジニアが頭が痛くなるほど新技術を考える会社,というコンセプトだ。」
Q「エクセレント!」
A「(冗談ぽいだわ)」

 3代前から,日の丸背負って勇んで海外研修に行きながら,こんなギャグジョークメモを残すとは,血は争えない。亡父のギャグ体質が理解できた。こんな父親(爺ちゃん)に育てられた亡父が,自分の娘に「1日1ギャグ」とか「時はギャグなり」とか「人生はジョーク,人はギャグ」なんてふざけた幼児教育を真面目に行うのも無理はない。*1

*1:まだ見ぬ4代目よ,私がギャグジョーク教育しても,それは因縁と業だからねw