裁判長謝罪と余生余命

 2009年11月01日の日記*1でも触れましたが,事実上戦後初の再審無罪(原判決は戦前確定)となった吉田岩窟王事件では,昭和38年2月28日名古屋高裁裁判長が声涙あふれる謝罪をしています。

日本岩窟王事件(吉田石松翁事件)
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage264.htm
>裁判長は吉田に対して「被告人、いな、ここでは吉田翁と呼ぼう。我々の先輩が翁に対して犯した誤審をひたすら陳謝するとともに、実に半世紀の久しきにわたり、よくあらゆる迫害に耐え、自己の無実を叫び続けてきたその崇高な態度、その不撓不屈のまさに驚嘆すべきたぐいなき精神力、生命力に深甚なる敬意を表しつつ翁の余生に幸多からんことを祈る」と読み終えた後、小林裁判長を含め3人の裁判官は立ち上がり、被告席の吉田に向かって頭を下げた。法廷ではきわめて異例であった。無実を勝ち取った瞬間、吉田は「万歳」と法廷で叫んだ。この時、吉田84歳だった。

 別件の再審無罪事件である加藤老事件*2だと,パパリンの日記に再審無罪判決当日1977年7月7日のA新聞夕刊の切り抜きが貼り付けられており,「あと1年でも生きたい」という加藤さんの言葉がキャンプションとして数段ブチ抜きで掲載されています。ネットでも,その後の加藤老のご活躍が伝えられています。

kotobankデジタル版 日本人名大辞典+Plus加藤新一とは
http://kotobank.jp/word/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%96%B0%E4%B8%80
>一貫して無実をうったえ、51年6回目の再審請求がみとめられ、52年無罪とされたときは86歳。62年ぶりに冤罪がはらされた。国家賠償をもとめる訴訟中の55年4月29日死去。89歳。
>【格言など】国家は何をもって、私に償いますか

 歴史は繰り返されるというが,こういう歴史はこれを最後にしなければなりません。それは私たち法曹を目指す排卵前の未熟卵でも,今から心しておかなければいけないと思います。再審無罪に一生を捧げた先人たちの艱難辛苦と,生涯に比して極わずかな安息の余生を送られたことを,胸に刻み込んでインプリンティングしておかなければ。