相対的価値概念(既判力)

 民主主義は,相対的価値概念に立脚しています。全ての価値は形式的に平等で,特定の価値だけを排除したりしないで,議論の論戦場に出るパスポートが与えられます。論戦で実質的価値の優劣が公平に判断されるための形式的参加資格は排除しないという人類の英知です。逆に言えば,参加の幻想と言われようとも,自己が抽象的でも決定に一切関与してない意志決定には,民主主義の統制は及ばなくなります。*1
 また,自由主義は,その根拠足る個人の尊厳から導き出される「自己決定権」と「自己自律権」を本質としますから,自分が決定に関与できない事象からの干渉を拒否します*2。番人が不利益で損だと思うことでも,利害得失の享有主体が真実合意すれば,憲法秩序や公序良俗というリーガルマインド・法の支配に反しない限り,他人は干渉してはならないということも意味します。これも全ての価値は形式的に平等で,実質的価値は価値享有主体が自由に処分できる,という意味で相対的価値概念に立脚します。
 長いですが,ここまでがツカミで前振りですw。
 以上の理論は司法の裁判にも妥当します。
 裁判で訴訟当事者つまり原告被告として参加してなければ,どんな判決でも,原則として*3,適用が拒否できるはずで,実際に裁判の効力は及びません。原告でも被告でもない刑事被告人(原告は,検察官=国)には民事裁判の判決の効力(既判力)は及びません。他人であるABが勝手に争訟した民事裁判は,第三者Cには及びません。↓

ATS設置義務、民事は認めず=福知山線事故で−車掌の復職請求は却下・大阪地裁
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010122200052
>2005年4月に乗客106人が死亡した福知山線脱線事故で、事故を起こした電車の車掌だった■■■■氏(47)=休職中=がJR西日本を相手に車掌職への復帰措置を取るよう求めた訴訟の判決で、大阪地裁の中村哲裁判長は22日、「訴えは不適法」として請求を却下した。
>原告側は、JR西が自動列車停止装置(ATS)を設置しなかったため起きた事故で適応障害になったとして、100万円の損害賠償も求めた。
>中村裁判長は、同社が負う安全配慮義務について、乗客と従業員に対するものは程度に差があると指摘。「制限速度を大きく上回る速度で現場カーブに進入することを想定し、ATSを設置する義務があったとは認定できない」とし、原告に対する同社の義務違反を否定し、請求を棄却した。
>(2010/12/22-13:04)

 ですから,裁判の判決の効力という面で見れば,自分が参加してない元JR西経営者にはJR西社vs同社労働者の判決は全く効力が及ばないのです。民事被告が刑事被告人でも同様です。それは,要件事実も判決主文も法制度も全く異なるからです。もちろん,証拠も主張も異なっているはずですから,なんとなくそうだと判りますよね。同じ風邪(外形事象)でもウイルス(要件事実)が違えば処置内容(判決主文)も異なるはずなんだから。

*1:古典的なテーゼは「代表なければ課税なし」で象徴されます

*2:これも「代表なければ課税なし」が帰結されます

*3:例外は,対世効のある判決です