「離隔」犯と刑法の諸問題

 「隔離」犯じゃありません。「離隔」犯です。これは刑法の明文で規定されていないテクニカルタームです。「離隔犯」とは,「行為と結果の発生とが時間的・場所的に異なる犯罪態様」をいいます。毒物を郵送して毒殺させた場合や有害食品を食べて死んだ場合のような事例です。お題に関連して言えば,故意過失で他人に放射線を浴びせ,他人が20〜50年後に死傷の結果が生じた場合でしょう。
 実体法である刑法では,まず,実行の着手時期で問題とされています。これには判例の変遷があります。戦前の判例は旧漢字旧カナですが変換しときました。

(1) M36.6.23大判・刑録9−1149

  • 毒殺罪に付いては殺意を以て毒薬を調合しこれを服用せしめんとする人に渡したる所為は未だ実行に着手したるものにあらず。現に毒薬を服用せしめまたは目的の人が服用すべき状況に毒薬を供したときにおいて始めて実行の着手あるものとす。

(2) M37・6・24大判・刑録10−1403

  • 刑法第293条(注:旧法ですw)の罪を構成するには被害者に対して毒物を使用したる事実あるを必要とする。而して本件被告が選びたる塩酸モルヒネは人をして服用せしむるによりて殺害の目的を達すべきものなるを以て、被告においてこれを被害者の服用すべき状態に置きたる事実、即ち例えば人に対し飲食物として贈与するか、然らざればその使用すべき食器にこれを装置し、或いは飲食物をおくべき場所にこれを提供するか、そのいずれの場合を問わず必然人の飲食すべき状態に毒物を提供する事実あるを要す。

(3) T7・11・16大判・刑録24−1352

  • 他人が食用の結果中毒死に到ることあるべきを予見しながら毒物をその飲食し得べき状態に置きたる事実あるときは是れ毒殺行為に着手したるものに他ならざるものとす

(4) S7・12・12大判・刑集11−1881

  • 特定人を殺す目的を以て人を殺すに足りる毒物を含有せる饅頭をその者の家に持参し、毒物含有の事実を秘してその者に交付したる場合にありては、犯人において毒殺の実行手段を尽くしたるものなればその者が未だ現実に該饅頭を食せずとするも既に殺人の着手ありたりと言うべく。従って本件において原判決が被告人が毒薬黄燐を含有する「猫いらず」と称する殺鼠剤の約3分の1を饅頭7個に混入し甲方へ赴き、甲およびその家人の食することあるべきを認識しながらこれを甲に交付したるところ、甲がこれを食せるに先立ち事発覚して同人殺害の目的を遂げざりし事実を認定し被告人の行為を刑法203条・199条に問擬したるは正当にして論旨は理由なきものとす。

(5) S40・12・9宇都宮地判・下刑集7−12−2189

  • 農道に単に食品が配置されたというだけではそれがただちに他人の食用に供されたといえないことは明らかである。即ち農村においては野ねずみ、害虫等の駆除のため毒物混入の食品を農道に配置することもあるであろうし、道に捨てたものを必ずしも人が食用に供するとは限らないからである。尤も本件のようにビニール袋入りのジュースではこれを他人が発見した場合右のような目的に使用された毒物混入食品とは思わないであろうから比較的に拾得飲用される危険は成人はともかく幼児などについては相当大きいと言わなければならない。……ただ左様な危険の存するからといってただちに本件被告人の行為を持って犯罪実行の着手と認めることができないのは前示の通りであるばかりでなく、前記引用の諸判例に示された法律上の見解からすればなおさら本件被告の行為を以て他人の食用に供されたと見ることはできないからである。

 次に,胎児に対する加害と過失傷害罪の成否で問題となりました。著名なチッソ水俣病刑事事件です。

S63.2.29最判刑集42−2−314
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=51209&hanreiKbn=02
>裁判要旨
>二 業務上の過失により、胎児に病変を発生させ、これに起因して出生後その人を死亡させた場合も、人である母体の一部に病変を発生させて人を死に致したものとして、業務上過失致死罪が成立する。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319115927958742.pdf
>全文
>胎児は、堕胎罪において独立の客体として特別に規定されている場合を除き、母胎の一部を構成するものとして取り扱われていると解せられるから、業務上過失致死罪の成否を論ずるにあたっては、胎児に病変を発生させることは、人である母胎の一部に対するものとして、人に病変を発生させることにほかならない。そして、胎児が出生し人となった後、右病変に起因して死亡するに至った場合は、結局、人に病変を発生させて人に死の結果をもたらしたことに帰する。
>裁判官長島敦の補足意見は、次のとおりである。

 Aを被害者とする業務上過失致死罪の成立を肯定する法廷意見につき、これに同調する理由を敷衍して述べるとともに、関連して若干の私見を付加することとしたい。
 一 胎児は、人としての出生に向けて成育を続けるという点で、それ自体としての生命を持つているが、他面、胎内にある限り母体の一部を構成していることも、否定することはできない。したがつて、過失により侵害が加えられた場合において、母体の他の部分にはなんらの結果も発生せず、胎児だけに死傷の結果を生じたようなときであつても、母体に対する過失傷害罪は、その成立を肯定することができるものというべきである(もとより、侵害の主体が母親自身であるときは、過失による自傷行為として不可罰ということになる。)。確かに、現行刑法は、胎児の生命を断ち又はその生命を危殆にさらす故意による堕胎行為を処罰する規定を設けているが、右は、成育しつつある胎児をそれ自体として保護するために設けられた特別の規定であつて、これに該当しない胎児に対する侵害行為をすべて不可罰とする趣旨までも含むものとは到底解することができない。けだし、母体の他の部分に対する不法な侵害は、人に対する侵害として刑法の対象となりうるのに、同じく母体の一部たる胎児に対する侵害は、堕胎罪に当たらない限り、およそ母体に対する侵害としては罰しえないと解するのは、著しく均衡を失するものといわざるをえないのである。
 次に、過失行為によつて傷害された胎児が出生して人となつた後に、その傷害に起因して死亡した場合には、どのように考えるべきであろうか。この場合、形式的にいえば、胎児として受けた傷害の被害者は、前記のとおり、胎児を含む母体であると解されるのに反し、死亡した被害者は、母体ではなくて出生したその人であると解されるから、侵害の及んだ客体と結果の生じた客体とが、別個の人になつているわけである。しかし、被害者の実体を虚心に見ると、それは、人の萌芽である胎児としての生命体が成育して、母体から独立した人としての生命体になつたものであつて、侵害の及んだ客体と結果の生じた客体は、成育段階を異にする同一の生命体ということができる。そして、刑法的・構成要件的評価においても、侵害の及んだ客体である母体と結果の生じた客体である子は、いずれも人であることに変わりはなく、いわば法定的に符合しているのである。したがつて、このような場合には、当該過失行為と死亡の結果との間に刑法上の因果関係が認められる限り、刑法の解釈として、死亡した人に対する過失致死罪の成立を肯認することになんらの妨げがないものというべきである。私は、以上の理由により、Aに対する業務上過失致死罪の成立を肯認する法廷意見に全面的に同調する。
 なお、過失行為によつて傷害を受けた胎児がその後遺症としての障害を負つて出生した場合において、出生した人に対する過失傷害罪が成立するか否かに関しては、果たして人に傷害という結果が発生したといえるか否かという困難な問題が存在する。今この問題の解決はひとまずおくとしても、仮に、胎児のときに受けた傷害に起因して、出生後において死に至らないまでも傷害の程度が悪化したような場合には、その悪化した傷害の結果につき、出生した人に対する過失傷害罪の成立を肯認する余地があろうと思われる。
 二 他方、私は、右とは別個の理論構成によつても、Aに対する業務上過失致死罪の成立は、十分にこれを肯認することができるものと考えるので、以下、この点に関する私見を付加しておくこととしたい。
 まず、刑法典に即して検討すると、過失による致死傷の罪を定める条項は、侵害行為が加えられた客体が必ずしも人であることを明文で定めているわけではない。すなわち、明文上は、「過失ニ因リ人ヲ傷害シタル者」(刑法二〇九条一項)、「過失ニ因リ人ヲ死ニ致シタル者」(同法二一〇条)、「業務上必要ナル注意ヲ怠リ因テ人ヲ死傷ニ致シタル者」「重大ナル過失ニ因リ人ヲ死傷ニ致シタル者」(同法二一一条)などと定められており、およそ過失行為によつて人に死傷の結果が生じた場合には、その過失行為は、少なくとも形式的には、これらの構成要件に包摂される体裁になつているのである。そして、事柄を実質的に見ても、過失行為が人に死傷の結果を発生させる一定の客観的な危険性を備えているときは、行為と結果との間の因果関係を肯定することができる限り、右過失行為の構成要件該当性を否定すべき根拠は見当たらないのである。結局のところ、これらの罪においては、過失行為による侵害作用が及んだ時点において、客体の法的性質が人であることは、必ずしも必要ではないということになるであろう。侵害の及んだ客体と結果の生じた客体とが異なるという事実は、右のような結果発生の客観的な危険性の評価判断に影響を及ぼす限度においては、過失犯の成否に関係をもつであろうが、そのこと自体が絶対的に過失犯の成立を否定する理由となるものではない。
 本件においては、既に記したとおり、侵害の及んだ客体と結果の生じた客体は、現実には前後同一の生命体であり、刑法の解釈ないし定義上、一は胎児、他は人とされるにとどまるから、このような刑法上の形式の相違は、客観的な危険性の判断になんらの影響を及ぼさないということができる。したがつて、たとえ侵害作用が及んだ時点において、客体の法的性質がいまだ胎児であり、人には至つていなかつたとしても、右事情は、Aに対する業務上過失致死罪の成立を肯認することの妨げにはならないものというべきである。
 以上と異なり、刑法の過失による致死傷の罪が成立するためには、胎児ではなくて人に対して侵害作用が及んだことが必要であるとする見解がある。しかし、私は、現に人に死傷の結果を発生させているにもかかわらず、侵害作用の及んだ時点における客体の法的性質が人でなく胎児であることを余りにも重大視し、明文にない要件を設けてまで犯罪の成立を否定する右見解には、賛同することができない。

 食品事故や薬品事故それに放射線被ばくで,胎児がこれらに起因する先天異常等で障害を持って生まれた場合,業務上過失傷害罪が成立することになります。ただし死産であると,人として生まれてこないので業務上過失致死にはならないことになります。「母親に対する(業務上)過失堕胎」の問題で,これが母体の着床ないし出産という生理機能を害したものとして業務上過失傷害に該当するかどうかでしょう(以下略)。